kodori

Kodoriヒューマン・ストーリー
マギー
女将さんとマギーさんは、話をするうちに意気投合した。マギーさんは言う。
「4年前にニューヨークから日本に来て、初めて京都に住んでるの。アメリカには日本ほど深い歴史がないし、ルールがないから、なんでも面白いことができた。京都に来たら、スーパーカルチュラルチェンジ。誰も知ってる人のいないところで。女将さんがバンコクに行ってた話を聞いて、近いものを感じたの。」
マギーさんの半生も、またドラマティックだ。いつも何かにチャレンジしてきた。
日本人の母とアメリカ人の父のあいだに生まれ、アメリカで育った。長く暮らしたのはニューヨーク。東西が入り交じる、独特のセンスをもつ。現在は「カルチャーエンジニア」として、アートディレクションをはじめ、さまざまな仕事を手がける。そこにはマギーさんの育った環境も大きくかかわっている。
好奇心をつなぐ
子どもの頃、3歳から15歳くらいまでは母親と暮らせなかった。アメリカでハーフとして生まれて、環境の難しいところにいたのね。
ジャパニーズスクールも行かずに、なんで日本語ができるようになったかというと、週1回母親と電話で話す時に、日本語でしゃべってね、と言われてたから。それで、一生懸命勉強したの。好奇心が大きかったんじゃないかな。
十代の頃は、音楽が大好きで、歌を歌ってた。他にもシアターで演技のクラスに入ったり、文章を書いたりとチャレンジを続けてきた。歌がきっかけで、東京に来て十数年住んでいたこともある。それらが今、全部つながっていると思ってる。
いろんなことをやってきた経験があるから、ものをつくってる人たちの気持ちが想像できる。そして思うのは、人が一番面白いの。どんなものをつくるときも、必ずヒューマンストーリーを探してる。人の「人間くさい」ところが実はとても美しい。
これからの自分に、わくわくする
若い時は、何かするって難しい。自分の足で立ち始める、アクションを起こす。自分が誰か、わからないところから。時間がかかるし、そう簡単にはうまくいかない。
最近、ようやく、自分の色がつかめた、と思っているの。40代半ばになって、自分はこういう人なんだ、とわかってきた。これから、何が起こるかわからないくせに、わくわくする。