kodori

Kodoriヒューマン・ストーリー
女将
まずは、マギーさんが心から尊敬する、祇園の石塀小路にある店の女将から。
「94歳で、今も毎日、店をやってる。昔は宝塚で娘役のスターだったの。その後は、ひとりでタイのバンコクに住んでいて。まだ日本人がほとんどいない頃の話。何も知らない場所に、行きたいと思ったから行った。生き方がアヴァンギャルドなの。」

楽しくないと、続けられへんえ
路地奥に佇む、閑静な町家。扉を開けると、その外観からは想像もつかない、深紅のベルベットで覆われた空間が広がる。その奥で、背筋を伸ばした女将が立っている。凜とした空気をまとう、その姿は実にエレガントだ。
この店を開いて、2024年で52年目となる。お客には大物俳優や文化人などが名を連ねてきた。楽しいから続けてるんです、それだけです、と女将は言う。
90歳を超えてなお、仕事を続ける。それも、好奇心を全開にして、人の話をしっかり聞く。こんな女性がいるのかと驚かされる。
店を始めるまでのストーリーも波瀾万丈だ。1930年に生まれ、戦中戦後を生きぬいてきた。

焼け野原を、生きぬくために
生まれは京都です。宝塚音楽学校に行ったのは、宝塚に憧れていたからじゃない。他に選択肢がなくて。女学校を出 て、東京の大学に行きたかったけど、終戦の年、あたりは焼け野原でしょ。どうやって生きていくか、親も必死で、どうしたいなんて言えない。日舞を6歳からずっとやっていたこともあって、宝塚へ。身を立てるとか、そんなこと考えてもいなかった。
今はお客さまにしても、みなさん戦争を知らないでしょ。どうだったかと話しても、おわかりにならない。若くてここをやっていた頃はまだ年上の方もおられましたけど、今は94歳、みなさん年下ですから。

人が知らんこと、初めてのことをやってみたい
宝塚を辞めた後、バンコクに行きました。ひとりも知らないまちに。日舞なんかを向こうでみせる、ということで、鬘(かつら)と衣裳を提げてね。
当時はパスポートがまだなくて、証明書をもらわないと外国に行けない時代。でも、外国ってどんなところか、死ぬまでに見てみたかった。今と違うて、ぜんぜんわからんわけでしょ。好奇心があった。人が知らんこと、初めてのことが楽しかったんです。
プロペラ機でしたけど、飛行機に乗るのも初めてだから、怖いともなんともわからない。バンコクの空港に着いたらあたりは田んぼで、水牛がいました。

バンコクには10年住んでました。1ヶ月のつもりが、いつのまにか。楽しかったんですね。言葉は全然わからない。周囲にいる人はタイ語で、英語でもないですよ。
日本人もほとんどいなくて、商社の方も単身赴任やったりして。そこで踊りをすると、みなさん喜ばはったんですね。日本に戻っていない元日本兵もいて、涙を流して観たはりました。

人とのご縁。それしかない
京都に戻ってきて、この店をやることにして。若い頃はこういう商売をするなんて思ってもみなかったけど、どうしようもなくてやったら、けっこう合うてるんですよ。天職やった。楽しいんです。楽しいから、ずっと続けてきてるだけで。なんも考えずに。ただ、みなさんと話してるだけですけど。
自分の言いたいことははっきり言います。怒らはったらそれでいいわ、って。気持ちですよね。気の合う人と、お互い楽しく。ほんまに人とのご縁です。

「自分の力で精一杯生きぬいて、ここまできて、今もずっと続けてる。女将さん見てると、弱音なんて吐けない。こんな歳だからできないとか、もう辞めたいとか言えなくなる。がんばろう、って思う。今も目がきらきらしてて、輝いてる。本当にスーパースター。」(マギーさん)
女将と衹園ない藤
女将と「衹園ない藤」には、その昔、ご縁があった。
まだ宝塚の娘役だった頃にない藤を訪れ、10センチヒールの草履を注文した。先々代にとっては思いもよらないお題だったが、試行錯誤を重ねた末に、ハイヒールのような草履を完成させる。ソールは5層、間のラメが縞模様のように光り輝く。台のカーブはなだらかで、足先が楽になるよう工夫されている。斬新な美と履きやすさを兼ね備えた、今の眼にも新鮮な履き物。女将は大切に履き続けた。

時を経て、店の35周年を記念して、女将は盛大なパーティーを催した。ない藤の5代当主・内藤誠治は、会場で初めて女将に会う。女将は驚いて、おじいちゃんの草履、いま履いています、と言った。

先々代が「ハイヒール草履」をつくったのは1950年代。時を経て、2020年代に5代当主が打ち出したのが「kodori」シリーズだ。先々代の技術やセンスを継承しつつ、これからの時代に向かう人たちの履き物として。
Kodoriには着物はもちろん、洋服も合う。日本の伝統をふまえながら、西洋的なバランスの要素も取り入れた東西のハイブリッドだ。太古からの知恵を生かしつつ、人間の「歩く」を原点に、伝統と現代の技術が同居する履き物でもある。
過去から続く歴史と文化、東洋と西洋。それらがkodoriで交差する。